魔界の女帝グラーズの呪いの魔力でアクアスとフレイアが魔獣にされた!
二人を元に戻すには女帝グラーズを倒すしかない…。
女神のプリンセス、セーラーディオーレは魔界に乗り込み戦いを挑むが、呪いはアクアスとフレイア二人の心まで魔獣化していた。
魔獣となった仲間との戦いに苦戦し女帝グラーズの責めに悶絶するセーラーディオーレは、友達を救うために戦いをあきらめなかった。
だが、魔獣セーラーフレイアの股間に大きな男根を与えた女帝グラーズはセーラーディオーレを性的に責めさせ肉体と心を蝕むのだった。
セーラーディオーレは連続アクメで昇天し朽ち果てるのだった。
厳格な法務官。作品の論理整合性、構造、および設定の妥当性を厳しく審査する。
妖艶な女性幹部。ヒロインの感情やエロティシズムを官能的に評価する。
今宵、我々が裁定を下すのは、GIGAが2021年に世に放った作品、『美少女戦士セーラーディオーレ 魔獣となったフレイアとアクアスが襲う!』(GHMT-87)だ。成田つむぎが演じるヒロインと、辻芽愛里が体現する悪の女帝。光と闇のコントラスト、その一点において、この作品は既に法廷に立つ資格を得ている。
あら、ジャッジ・X。今宵の生贄は、随分と可憐な小鳥のようね。成田つむぎ…。彼女が放つ聖なる輝きが、辻芽愛里という名の妖艶な女帝によって、いかに甘美な絶望の色に染め上げられるのか…。わたくし、その過程をじっくりと味わいたいわ。
まず断罪すべきは、この作品が持つ圧倒的なまでの「光」だ。それは、主演・成田つむぎが放つヒロインとしての輝きに他ならない。変身シーンの華麗さ。だが、真に評価すべきは、彼女が「絶望」を演じるその瞬間にある。
ええ、その通りよ。彼女の瞳から零れ落ちる悔しさと、それでも失われない気高さの雫…。それこそが、最高の媚薬。わたくしたちを最も昂らせる感情のスペクトル。彼女の肢体を犯す魔獣たちでさえ、その魂の輝きの前では単なる舞台装置に過ぎないわ。
わたくしが心惹かれるのは、女帝グラーズがディオーレに向ける、粘りつくような執着の視線。力でねじ伏せるだけではない、精神の奥底までをも支配しようとする、あの湿った情念…。これこそ、真のレズビアン・リレーションシップの神髄よ。
ふむ。レズ凌辱というジャンルにおいて、その支配構造の構築は根幹を成す。辻芽愛里の演技が、その構造を強固なものにしたと?
ええ。彼女はただの悪役ではないわ。ディオーレという純白のキャンバスを、自らの色で汚していくことに至上の悦びを見出すアーティストなの。この二人の女優が織りなす感情のタペストリーこそが、本作の真価と言えるわね。
ストーリーに目を移そう。本作は「弱いヒロインが仲間に裏切られ、責められる」という王道のプロットを採用している。これは安定感がある一方で、既視感も伴う諸刃の剣だ。その中で、魔獣化した仲間という設定は一つのスパイスとして機能している。しかし、その視覚的表現については、再考の余地があったのではないか。
魔獣のデザインが少々無骨だったのは、少し残念だったかしら。もっと有機的で、官能的なフォルムであったなら、ディオーレの絶望はさらに深みを増したでしょうに…。
うむ。そして、私が最も問題視するのは演出の甘さだ。成田つむぎがあれほどの絶望の表情を引き出しておきながら、その余韻に浸らせる時間が決定的に短い。素晴らしい素材を前にして、料理人がそのポテンシャルを最大限に引き出せていない。実に嘆かわしい。この一点において、本作は傑作の域を逃したと言わざるを得ない。
結論を述べよう。本作は、成田つむぎという「光」と、辻芽愛里という「闇」の、二つの強烈な個性の衝突によって成り立っている作品だ。成田が見せる悲壮美、辻が体現する絶対悪。この二つの演技を味わうだけでも、本作を観る価値はある。しかし、演出の細部に甘さが残り、そのポテンシャルを100%解放するには至っていない。よって、私の判決は「執行猶予付きの有罪」とする。
わたくしの評価は、「極上のデザート」ね。成田つむぎという可憐なヒロインが、辻芽愛里という名の毒によって、甘く、そして切なく堕ちていく様は、何度でも味わいたい官能のフルコース。細かな点はスパイスよ。気高い魂が屈服する瞬間のエロティシズムを求める者には、必見の一作と言えるわ。