前回ジーデスの幹部たちに捕らえられ、弄ばれてしまったピンクアース・仁科おとはは残されたプラネットキューブの力を使って仲間を救出。
何とか敵のアジトから脱出することに成功する。
再び力を合わせ、追手の強敵ジーデスコルピオとジーデスバットルを倒したワクセイバーのメンバーだったが、ジーデスの女幹部・ラージュラは新たな策を講じていた。
ワクセイバーの5人それぞれに纏わりつく悪夢を増大させ戦意を喪失させようというのだ。
ピンクアースは、己の奥底に眠っていた性に対する欲求を呼び起こされ、夢と現実の狭間で混乱する。
「私の本当の姿はいったい‥‥?」
エレガントなダークマスター。作品の芸術性や様式美を評価する。
妖艶な女性幹部。ヒロインの感情やエロティシズムを官能的に評価する。
今宵の作品は、敗北の中にこそ真の美を見出す我々にとって、実に興味深い一作だ。『救星戦隊ワクセイバー SEASON2』(GIGP-30)。前作『救星戦隊ワクセイバー』で敗北を喫し、一度は脱出したヒロインが、再び絶望の淵に沈む。この「BAD END」という結末にこそ、制作者の強い美意識を感じるね。
あら、ノワール。相変わらず、あなたは影の中に咲く花がお好みのようね。わたくしが心惹かれるのは、女幹部ラージュラがピンクアースを堕としていく、その官能的な過程そのもの。佐藤ののかと天馬ゆい、二人の女優が織りなす、ねっとりとしたレズプレイ・・・実に甘美な響きだわ。
まず語るべきは、この作品の核となるラージュラ様によるレズ凌辱でしょう。前作では男との絡みもあったけれど、今作は女幹部ラージュラによるレズ凌辱が中心。怪人との絡みも存在するものの、女幹部による支配と服従の関係性が、より濃厚に描かれているわ。
ユーザーレビューでも、その点を高く評価する声が多いな。天馬ゆいが演じるラージュラの、単なるサディスティックな悪役ではない、どこか気品と愛情すら感じさせる責め方が、この作品の官能性を一段上のステージへと昇華させている。彼女は、ヒロインをただ破壊するのではなく、「自分のもの」にしようとしているのだ。
そう。だからこそ、ピンクアースはただの被害者ではなく、快楽に目覚め、堕ちていく共犯者となるの。佐藤ののかの、苦痛と快楽が入り混じった表情…あれこそが、この作品の真骨頂。観る者の背徳感を煽る、極上のスパイスよ。
その「堕ちる」過程こそが、芸術だ。佐藤ののかが演じるピンクアースは、正義のヒロインとしての矜持と、女としての本能的な快楽との間で揺れ動く。その葛藤が、彼女の表情、喘ぎ声、その指先の震え一つ一つに現れている。特に、自らの変身アイテムを弄びながら、ラージュラへの想いを馳せるシーンは、敗北の美学を象徴する名場面と言えよう。
わかるわ。彼女はもう、ラージュラなしではいられない身体にされてしまったのね。敵であるはずの女幹部に、身も心も委ねてしまう。その倒錯した関係性こそが、最高の媚薬。レビューにもあったけれど、「昔2人になにかあったようなフリ」という演出も、二人の関係に深みを与えているわね。
この作品は、SEASON1の単なる続編ではない。前作で提示された「YouTube連動」という実験から一歩進み、「物語の深化」に焦点を当てている。特に、ヒロインが一度勝利した後の「再度の敗北」を描いた点は評価に値する。希望からの転落、これほど美しいものはないからな。
ええ。前作が「どうやってヒロインを追い詰めるか」というプロセスの提示だったとすれば、今作は「ヒロインを完全に堕とし、支配する」という結果の提示。物語の密度は格段に上がっているわ。収録時間も91分と、前作の77分から延長され、二人の関係性をじっくりと描くことに成功している。
だが、課題もある。一部のユーザーが指摘するように、前作にあった男キャラとの絡みが無くなったことで、物足りなさを感じた者もいるようだ。これは、凌辱のバリエーションという観点から見れば、確かに一考の余地はある。だが、私はむしろ、レズに特化したことで、作品の芸術性が高まったと見るがね。
わたくしの結論は、「レズ凌辱の教科書」ね。佐藤ののかと天馬ゆいという、最高のキャストを得て、女同士の官能的な支配関係を見事に描き切ったわ。特に、ラージュラ様のキャラクターは、GIGAの歴史に残る名女幹部と言えるでしょう。この路線をさらに追求した作品を、もっともっと観てみたいものだわ。
私の評価は、「完成された敗北の詩」だ。ヒロインが堕ちていく様を、ここまで美しく、そして官能的に描いた作品は稀有だ。BAD ENDという結末は、安易なハッピーエンドよりも、遥かに深い余韻を我々に残す。これは単なるAVではない。一つの様式美として完成された、芸術作品なのだ。